【細川ガラシャ】
2022.05.16
今回も私が生まれ育った京都府長岡京市に関係する「細川ガラシャ」について調べてみました。
NHK大河ドラマ「麒麟がくる」で芦田愛菜さんが細川ガラシャさんを演じていました。
"参考写真:https://biz-journal.jp/2020/12/post_199448.html"
細川ガラシャ
:明智玉/珠(子)、明智光秀の娘で織田信長の発案により16歳の頃、細川忠興に嫁ぎました。
嫁いだ先が勝竜寺城で私の住まいから徒歩3分の場所に跡地があります。
勝竜寺城に2年間過ごした後は丹後の宮津城に移っています。
その後、「本能寺の変」で明智光秀が織田信長を討ち「天王山の戦い」で敗れたため20歳にして「謀叛人の娘」となり細川忠興によって京都府京丹後の味土野(みどの)に幽閉されました。
羽柴秀吉の許しもあり、細川家へ戻りましたがその後も軟禁状態で暮らすことになりました。
忠興から聞いたカトリックの教えに心を魅かれ隠れながら教会へ通いましたが細川家に見つかり通うことが出来なくなりました。
秀吉がバテレン追放令を出したことを知り自宅で密かに洗礼を受けその洗礼名が「ガラシャ」でした。
忠興がガラシャに対して辛く接するようになり、ガラシャは忠興と別れたいと宣教師に相談しますがキリスト教では離婚は認められないこともあり説得されました。
忠興が徳川家康に従い上杉討伐に出陣することになり、出発前に「もし自分の不在時に妻の名誉に危険が生じたら、日本の習慣に従って先ず妻を殺し、全員切腹して妻と死ぬように」と家臣たちに常に伝えていたそうです。
この出陣で忠興が不在時に大阪玉造の細川屋敷居たガラシャを石田三成が人質に取ろうとし屋敷が囲まれました。
家臣がガラシャに伝えると侍女・婦人を集めて自分だけが死にたいと伝え外へ出した後、自殺はキリスト教で禁じられているため家臣が介錯しガラシャの遺体が残らないように屋敷を爆弾で爆破し自害したそうです。
ガラシャが読んだ辞世として、
「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」 と記されています。
細川ガラシャの有名人子孫
・細川綱利
討ち入り後の赤穂浪士を預かった
・孝明天皇
第121代天皇(明治天皇の父)
・細川護熙
第79代内閣総理大臣
ガラシャ祭り
毎年11月第2日曜日に長岡京市ではガラシャ祭りが行われます。
近くの小学校から勝竜寺まで巡行もあります。
参考:"長岡京ガラシャ祭実行委員会事務局 長岡京ガラシャ祭 (nagaokakyo-garasha.jp)"
資料:"長岡京市HP http://www.city.nagaokakyo.lg.jp/"
細川ガラシャさんの歴史紹介になってしまいましたが、ガラシャ祭りにも皆様お越しください。
村斎 嘉彦