「京都の平熱」著:鷲田清一
2022.05.09
京都市バスの206番といえば、京都市のわりと端っこの方を大きくぐるりと回る環状線。
今回ご紹介するのは、この206番の走る道沿いに展開される随筆的京都案内書です。
(画像は https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000211647 より引用)
著者は哲学の専門家だそうで、作中のいたるところで哲学的、あるいは思想的な『京都』の捉え方が飛び出してきます。
観光案内書といいながら、半分ぐらいは京都にまつわる思い出話と現状分析なんじゃないでしょうか。
だがそこが面白い。まるで大学の教授が講義中やゼミ室で、はたまた宴席でか、ふと口に出す雑談が一冊の本になったかのような、京都に生まれ育ったひとの実感に満ちた、生々しい京都案内です。
第一刷の発行は2013年で、今より10年ほど前というのもポイントです。
作中で語られる『今』の京都と、著者の子ども時代の京都、それから2022年現在の自分が知る京都を比較しながら読めば、ますます興味深く読めることでしょう。
もちろん、「京都」を通して展開される著者のヒトやモノに対する示唆に富んだ考察は、京都に住んだことがない人にも充分楽しめる内容です。
さてここで、京都のものづくり企業の社員としては見逃せない一節がありましたのでご紹介しておきたいと思います。
この節はこう始まります。
『京都は観光の街ではない。京都市は街じゅうが接客をしていてまさに観光で持っているように見えるが、じつはその収入は総収入の一割を占めるにすぎない。京都はいまも、典型的な内陸型の工業都市である。』
京の都を支えた職人たちの精密な仕事がルーツとなって発展してきた工業は、たしかに現代へと続いて京都を支えている。2ページと少しの短い一節ではありますが、哲学者が京都を工業都市として語っていることが、京都のものづくり企業の今後に明るい光を差しているように感じられたのでした。私も正直なところ数年前までは、京都は観光都市だとばかり思っていましたから。
今回ご紹介した「京都の平熱」、読了後に私がまず思ったのは
「京都に住む前にいっぺん読んで、住んでからもういっぺん読みたかった」
でした。
京都人の哲学者が考察する「ほんまの京都」の話は、きっと今後も読み返すごとに新たな気づきをもたらしてくれることでしょう。
観光都市としての皮一枚分めくった京都、あなたも玄人の案内で歩いてみませんか。
矢野恵美