通勤路と「陰陽師」


2022.03.22

 初めてブログを担当させていただきます、新入社員の矢野と申します。

 今回ははじめましての皆様に自己紹介も兼ねまして、私の愛読書をご紹介したいと思います。

 とはいえ、もはやご紹介するまでもなくご存じの方も多かろうという有名書籍、夢枕獏先生の「陰陽師」でございます。

 平安の京に活躍した陰陽師といえば、まずはじめに名の挙がる安倍晴明が、武士・源博雅とともに世間に起こる奇妙なできごとを解決に導いてゆく短編小説集、といえば大まかには合っているでしょうか。(シリーズには長編も存在しますが)

 「陰陽師」のどこが良い、などという冗長な語りは、ご存じの方には聞くに堪えないでしょうし、そも易々とは語り尽くせぬ、五感に訴えもののあはれを掻き立てるような文体と、登場人物たちの軽やかで必要十分な掛け合いをこそ好ましいと考える身としては、とにかく読んでみてくださいとお薦めするほかありません。

 では「陰陽師」の何を語ろうというのか。

 我らがMedico-tec.株式会社が拠点を置く京都に住んでこその楽しみをば、お話しできればと思います。

 言わずもがな、「陰陽師」の舞台は平安時代の京都です。安倍晴明公は現代にも名を残す陰陽術師であり、その邸宅跡地には現在、晴明公を祀る神社が建っています。この晴明神社、敷地は小ぶりながら、晴明公の人気を反映してか手入れの行き届き、(ちょっとやりすぎの感もあり、)土産物の充実した面白い神社なのですが、小説「陰陽師」ファンとしては決して捨ておけないスポットがもう一ヶ所、すぐ近くにあるのです。

 「陰陽師」第一巻ふたつ目のお話。源博雅が晴明の屋敷を訪ねると、晴明は「待ちかねた」と言う。博雅が「なぜおれが来るのがわかったのか」と訊ねれば、晴明はこう答える。おまえ、ここにくる途中の橋の上で「おるかな晴明」とつぶやいただろう――

 その橋こそ、一条戻橋。晴明公がここでひとを蘇らせたとか、その下に式神を飼っていたとかいう言い伝えの残る、「あの世とこの世の狭間」の橋です。

 この一条戻橋、現在は晴明神社より東に出てすぐの大通り、堀川通りを南に100メートルあまり下ったところにかかっています。近年の架け替えのさいに場所も変わり、石とコンクリートでできた頑丈な見た目にはもはや妖しのものの付け入る隙がなさそうなものですが。

 それでも作中の晴明の言葉を借りるならば、名は呪であり、名前がそのもののあり方を定義づけているのだと。一条戻橋という名こそ、当時の逸話の残る橋と現代のコンクリ橋をつなぐ架け橋であり、その名のついた橋があってこそ、あるいは晴明公の式神もまだあの橋の下で聞き耳を立てているかもしれないと思えるというものです。

 さて、この一条戻橋、何を隠そう私の通勤路にあるのです。こんな身近に聖地があるとは、私はなかなか恵まれたファンです。(ここでいう聖地は物語の舞台やそのモデル、またはロケ地など、物語に縁の深い場所のことです)

 あの場所に、物語があった。そう思いながら日々通りがかっていると時々、登場人物たちとすれ違うかのような、不思議な感覚になることがあります。べつに、本当にかつて物語どおりの人物が物語のように動いて喋っていた、などと思い込んでいるわけではなく、現在の京都に生身の彼らがいると感じる訳でもありません。ただ、遠い地方のニュースを聞いてそこに暮らす人に思いを馳せるような、土砂降りの雨に雨上がりの晴れた空を想像するような、自然な距離感で、登場人物たちの存在を想像できるような気がしてくるのです。地続き感がある、とでも言い換えられましょうか。

 現在読み進めている本にも、似たようなことが書いてありました。京都は歴史都市ではない、と。歴史を歴史と実感するよりも近い距離にかつての暮らしがあるというか。今と昔は多層的に同時に存在しているというか。職人たちが一つの通り沿いに集まって、助け合いながら技術を守りついでいく一方で、高層ビルが建っては潰れして、歴史の教科書に載っている人が「あそこで何をした」と親戚の噂話のように語られるうちに外資系やチェーン店が幅をきかせだして。

 これは京都に限ったことではなく、土地に根付く、そこの人間になるということは、この幾つもある層に溶け込んでゆくことなのかもしれないとぼんやり感じます。土地の歴史を知って、今の暮らしに馴染んで、近づいた過去と先人たちと地続きの人間になってゆくこと。長く時間のかかる話ではありましょうが。

 ともあれ、今の京都はそろそろ花の時期。

 くだんの一条戻橋は、一足早く花盛り。

 橋のすぐ脇、公園の隅っこに、早咲きで知られる河津桜が満開です。

 濃いピンク色の花びらが丸く密集して咲き誇り、隙間から明るい色の若葉がぴょんぴょんと飛び出して、ちょっと桜餅の群生のようにも見え。

 たとえば「陰陽師」の晴明が、橋の下の式神を通してこの桜のありさまを知ったら何を思うかしら、と考えたり。

 博雅が酒瓶をぶら下げて橋を渡りしなに手折る枝の行き先は、と想像したり。

 いまや京都の桜の第一報として定番となったこの樹を植えたのは誰だったのかしらと思いを馳せたり。

 さまざまなきっかけで、少しずつ暮らす場所に、関わる人々に詳しくなって、馴染んでゆけたらなと思っています。

矢野恵美