幻の都ご存じですか?
2022.01.31
私が生まれ育った「京都府長岡京市」について52年間住んでいましたが初めて調べてみました。
「乙訓古墳群」
乙訓とは長岡京市・向日市・大山崎町・京都市の一部の地域となります。その地域から古墳時代(3世紀?7世紀)の首長の古墳が継続して見つかっており日本では珍しいことのようです。
そのため、13基の古墳が『国指定史跡 乙訓古墳群』として指定されています。
その中で長岡京市にある古墳です。
〇長法寺南原古墳(ちょうほうじみなみはらこふん)
私が通っていた小学校の裏にあります。
〇恵解山古墳(いぜのやまこふん)
乙訓地域最大の古墳で住まいから徒歩5分の場所にあります。
「長岡京」
今から約1200年前の延暦3年(784)に桓武天皇の命によって奈良の平城京から遷されました。政治の中心である長岡宮は大山崎町、経済の中心は長岡京市にあり諸国から多くの人が往来する日本の政治・経済・文化の中心地だったようです。
しかし、その期間は短く延暦11年(792)に大洪水や桓武天皇の弟の死などから、延暦13年(794)に平安京へ都が遷されました。
主な建物は壊されて徐々に田園地域へ変わっていったようです。
長岡京があった期間は10年で「幻の都」と呼ばれるようになりました。
「天王山の戦い」
皆さんご存じの羽柴秀吉(豊臣秀吉)と明智光秀とが戦った場所も大山崎町で、
明智光秀が布陣し最後の城となっとのは勝竜寺城となります。
私の住まいから徒歩3分です。
(復元想像図です)
その他にも、ツツジの時期には長岡天満宮、紅葉の時期には光明寺、牡丹の時期には乙訓寺、紫陽花の時期には柳谷観音といろいろと観光地があります。
長岡京市の観光案内になってしまいましたが京都に来られた際にはお立ち寄り下さい。
私が案内いたしましょう。
村斎 嘉彦
資料:長岡京市HP http://www.city.nagaokakyo.lg.jp/